HISTORICAL PERSON · 紀元前 80年(推定)没

ゴタルゼス1世

アルサケス朝パルティア王国の王で、在位は紀元前91年から81年頃。ミトラダテス2世の下でバビロニア総督となり、王に匹敵する権力を持って「諸総督の総督」を名乗った。

生涯
紀元前 80年(推定)没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ゴタルゼス一世は、紀元前一世紀初めのアルサケス朝パルティアの王である。紀元前九十一年から統治したとされるが、即位の経緯、王家との関係、没年には異説がある。ミトラダテス二世の子で後継者だったとも、もとはアルサケス家の生まれではなかったともいわれる。王となる以前はミトラダテス二世のもとでバビロニアを治め、「諸総督の総督」という高い称号を帯びた。領土を拡大したパルティアでは地方の総督が強い権力を与えられており、ゴタルゼスも王に匹敵する権勢を得たとされる。

紀元前九十一年初めには、バビロニアで王としての名が現れる。ミトラダテス二世の晩年に対立王として独立したとする解釈と、父王の死後にバビロンで王と宣言されたとする解釈がある。即位に際してミトラトゥをバビロニアの将軍に任命したとされる。この時代のパルティアの王位継承は不明な点が多く、シナトルケスやミトラダテス三世といった競争相手との関係も議論されている。シナトルケスをスサから追い出したとする説もあるが、内戦の展開を詳しくたどることはできない。ゴタルゼスが掌握した地域には、バビロニアのほかメディアが含まれたとされる。

対外関係では、アルメニア王ティグラネス二世との結びつきが重要であった。ティグラネスを通じてシリアとカッパドキアへの影響力を広げる、先代以来の政策を続けたとされる。ティグラネスはこのころシリアやキリキアへ進出した一方、パルティア側から「七十の谷」と北メソポタミアを奪ったともいわれる。婚姻による関係もあり、ゴタルゼスはティグラネスの娘アリアザテを妻とした。この女性は、後の王オロデス一世の母であった可能性がある。妻は複数おり、アシアバタルのほか、姉妹でもあったシアケとアザテの名が知られる。

王としては大王を名乗った。この王とオロデス一世の時代には、バビロニアの学者がアケメネス朝時代にならう形式で楔形文字の記録を作り、古いイランの王朝とのつながりを示したとも解される。貨幣には、ほかのパルティア王と同様、初代の王アルサケス一世に由来するアルサケスという称号を用いた。ただし、「諸王の王」の称号を実際に使ったかどうかは、裏づけが十分でない。ベヒストゥンには、一人の前で四人が敬意を表す浮彫があり、ゴタルゼスも諸総督の総督として表されていると考えられている。この浮彫をミトラダテス二世の時代ではなく、ゴタルゼスの治世に造られたものとする見方もある。その場合、先王時代の本人と側近の地位を示し、王権の正統性を強調したものと解される。将軍ミトラトゥや後継者オロデスも登場するという解釈である。

治世の終わりは、紀元前八十七年に没したとも、紀元前八十年ごろまで続いたともいわれる。前者では、息子オロデスが継いだ王位を、ゴタルゼスの兄弟ミトラダテス三世が奪ったとされる。後者には、ゴタルゼス自身が紀元前八十七年にミトラダテス三世を破ったとする説がある。一方、そのミトラダテス三世という王の存在を認めず、同年にセレウコス朝のデメトリオス三世を捕らえたのはゴタルゼスだったとみる研究者もいる。バビロニアでは紀元前八十一年あるいは八十年までゴタルゼスの支配が続いたとされ、その後にはオロデス一世の名が現れる。

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