伝記
アケメネスは、アケメネス朝ペルシアの王家が始祖として仰いだ、半ば伝説的な人物である。紀元前八世紀末から七世紀前半ごろ、あるいは紀元前七〇〇年ごろに生きたと考えられるが、実在そのものにも疑問がある。ペルシア人の部族連合に属する氏族の長であったとも、初期の王であったともいわれる。パサルガダイ族の指導者とする説もあるものの、この部族名と、後にキュロス二世が建設した都市パサルガダエとの混同の可能性があり、身分や活動を確定することは難しい。
古代ペルシア語の名はハハーマニシュ、あるいはハカーマニシュと表記される。その意味は「友の心を持つ」とされるが、別の解釈もある。アケメネスという呼び名は、ギリシア語のアカイメネスと、そのラテン語形を経て伝わったものである。エラム語やアッカド語でも、この名前に相当する形が確認されている。王統をたどる系譜の中では、テイスペスの父とされている。テイスペスは、キュロス二世とダレイオス一世に共通する祖先として位置づけられた。ベヒストゥンの王碑文では、アケメネスはダレイオス一世から五代さかのぼる祖先となる。この世代関係からも、その生きた時期は紀元前七〇〇年前後と推定されてきた。王家の始まりに置かれた一方、本人の生涯や具体的な事績を確実にたどることのできる記録は、ほとんど残されていない。
後世の王家とアケメネスとの関係にも、確定しない点がある。キュロス二世が残した円筒形の碑文は、自身の祖先としてテイスペスに触れるものの、アケメネスの名を挙げていない。一方、パサルガダエには、キュロスがアケメネス家の者であると示す碑文がある。ただし、これはキュロス自身の時代ではなく、ダレイオス一世の命令で後から刻まれた可能性もある。紀元前五一〇年ごろの制作と見る説もある。ダレイオス一世は、自分より前に八人の王がいたとしているが、そこにアケメネスが含まれるかどうかは明示していない。このため、両王の家系を結びつける祖先として、ダレイオス一世の時代にアケメネスが作り出されたのではないかとも考えられている。ダレイオス一世が紀元前五二二年に王位を得た後、キュロスの家と同じ祖先を持つことは、自らの王位を正当づけるうえで意味を持ったとされる。ダレイオスはキュロスの娘アトッサとの結婚によっても王家に結びついていたが、共通の祖先を持つという系譜は、それとは別の血統上のつながりを示すものであった。
実在したとすれば、メディアに従うペルシア人の一部を率いた戦士の長だったという推測もある。紀元前六九一年、アッシリア王センナケリブの時代に起きたハルレの戦いでは、メディアとともにペルシア系の勢力などが戦っており、その指揮者の一人だった可能性が論じられている。ただし、この戦いへの本人の参加が確かめられているわけではない。ギリシア世界では別の伝説も語られ、英雄ペルセウスの子孫とされたほか、鷲に育てられたとも伝えられる。ペルセウスの子ペルセスと同一視する説と、その子孫とみなす説もあった。王家の系譜では、アケメネスの後を息子テイスペスが継ぎ、さらに後の世代にキュロス二世が現れてペルシア帝国を築いたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- バルタトゥア (紀元前700)
- ヘーシオドス (紀元前 700年(推定))
- アリアラムネス (紀元前700)
- キュロン (紀元前700)
- アナクサンドリデス (スパルタ王族) (紀元前 700年(推定))
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