HISTORICAL PERSON · 紀元前 2700年(推定)没

カセケムイ

古代エジプト第2王朝最後のファラオで、30年間統治した。前王の時代に起きた内乱を平定し、王名にはホルスとセトの双方を示す動物が刻まれた。

生涯
紀元前 2700年(推定)没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

カセケムイは、エジプト第2王朝のファラオで、30年間エジプトを治めた。第2王朝最後の王であり、前の王セト・ペルイブセンの時代に起こった内乱を平定したとされる。前王とカセケムイの間にカセケムという王がいたとする説もあるが、カセケムイと同一人物とする説が一般的である。同一人物とみる場合、内乱を鎮圧したのちに、「二つの力強いもの(ホルス、セト)の出現」を意味するカセケムイに改名したとされる。そのため王名を囲むセレクには、ホルスとセトの双方を示す動物が刻まれた。ギリシア人のマネトはこの王をケネレスと呼ぶ。トリノ王名表は在位を27年2か月1日と数える。

この時期の石壺には、ケネブの町で北の敵と交戦した年という記録が残る。ケネブは南エジプトの主要都市ヒエラコンポリスのナイル川対岸にあたり、南の王カセケムイと北エジプトとの間で戦闘があったこと、反乱の規模が大きかったことがうかがえる。ただし、王墓から出た像の台座には北エジプト人の打ち倒された死体が描かれ、南エジプトの冠をかぶってその上に腰掛けるカセケムイの姿は反乱の鎮圧を示している。次の王からセト名が消えることからも、治世にセト派の勢力が弱まったと読み取れる。ヒエラコンポリスでは、ヌビアの名を記し「外国を屈服させる」と刻んだ碑の断片も出ている。

ホルス名カセケムを用いた時期のものには、北の敵と戦う年を記した花崗岩やトラバーチンの壺や、打ち負かされた敵を表した石灰岩とシルト岩の小像がある。ホルスとセトの名カセケムイは、レバノンのビブロスの神殿跡から出た角礫岩の壺の破片にも見え、「ホルス・セト、カセケムイ、命を与えられた」と刻まれる。ヒエラコンポリスの扉の枠、エル・カブの花崗岩の塊、ジェセル王のピラミッドの地下回廊に残る印影も、この王の名を伝える。第二の名には「二柱の神が満足する者」を意味する添え名ホテプ・ネチェルウイ・イメフが付くことがあり、名の変更は国の統一のような重大な政治的出来事によるとみられる。ネブティ名には別の添え名ネブクヘトセンもあり、アビドスの囲い地から出た閃緑岩の食器の断片が唯一の例である。ゲベレインのハトホル神殿の浮彫は様式から、ボストンにある小像の頭部はヒエラコンポリス出土の二つの小像との類似から、この王のものとされる。

カセケムイは紀元前2686年ごろに死去したとされる。アビドスの墓は長さ70メートル、幅10メートルから17メートルの巨大な不等辺四角形で、当時の王墓としてはきわめて特異な形をしている。一部は盗掘を免れ、黄金と紅玉髄の王錫や、金箔の貼られた蓋をもつ水差しなどが出土した。墓からは花崗岩の葬祭碑二つ、青銅と銅の食器、ジェセルの印影と並んだこの王の印影も見つかっている。現存する立体的な王の像としては最古のカセケムイ像も二体見つかり、片岩と石灰岩でつくられている。墓から900メートル離れた場所には、同年代のれんが建造物シュネト・エル・ゼビブがある。長さ123メートル、幅64メートルの長方形で内部構造は複雑だが、目的は不明で、位置と年代から王墓と何らかの関係があると推測される。

カセケムイには男子の継承者がおらず、女性の継承者として娘のニマアトハピがいた。ニマアトハピはサナクトを夫に迎え、サナクトは第3王朝を開始する。古代エジプトは母系社会であり、この婚姻はサナクトの王位に正統性を与えたという。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。