伝記
アル=フワーリズミーは、9世紀前半にアッバース朝時代のバグダードで活躍したイスラム科学の学者である。正式にはアブー・ジャアファル・ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミーといい、780年頃から850年頃の人とされる。数学、天文学、地理学、哲学、歴史学など多方面に通じた学者であり、とりわけ数学と天文学で大きな足跡を残した。アルゴリズムという語の語源となった人物でもある。
名の「フワーリズミー」は「フワーリズムの人」を意味するニスバ(出身地などに由来する通称)である。フワーリズムはアラル海の南、ヒヴァの町とその周辺をさすアラビア語の呼称で、ホラズムとも呼ばれる。ニスバは本人の出身地のほか、父や祖父の出身地、長く住んだ土地を示すこともある。古い史料は、彼の家系がホラズムに連なると述べているため、父系の先祖にホラズムから来た人物がいたと推定されている。一方、20世紀の科学史家トゥーマーは、バグダードからそう遠くないクトルブルの生まれで、ホラズムは父祖の地だったのではないかと唱え、さらに「マジュスィー」というニスバから、かつてゾロアスター教徒だったことも示唆した。しかしエジプトの科学史家ラーシェドは、写本に語の脱落があり、その箇所は二人の人物に言及しているにすぎないと反論した。
メルヴで学者として有名になり、カリフのマアムーンに招かれてバグダードに出て仕えた。「知恵の館」と呼ばれた一種のアカデミーで天文学者として働き、図書館長も務めたとされ、のちにカリフとなったワースィクにも仕えた。日時計やアストロラーベ(観象儀)も作ったとされる。ただ、伝記的な情報はほとんどわかっていない。10世紀の地理学者は、842年にカリフがフワーリズミーをハザール人の族長のもとへ派遣したと伝えるが、これはバヌー・ムーサー三兄弟の長男ムハンマドとの混同とみるのが一般的である。没年の手がかりはなく、タバリーが伝える、病床のカリフ・ワースィクが天文学者ムハンマド・ブン・ムーサーに寿命を占わせた話の人物が彼なら、少なくともワースィクの没年の847年までは生きていたことになる。
著作はすべてマアムーンの治世(813年から833年)に書かれたといわれ、イブン・ナディームは5編を挙げる。新旧2版のジージュ(天文表、『シンドヒンド』の名で知られる)、日時計の本、アストロラーベの使用の本と構造の本、年代記である。ジージュは散逸したが、10世紀アンダルスのマスラマが改訂したものをバースのアデラードがラテン語に訳した版が現存する。
主著『約分と消約の計算の書』(820年)は最古の代数学書のひとつで、ラテン語に訳され、書名の「アル=ジャブル」が英語の「代数学」の語源となった。未知数は根や「もの」、平方は「マール」と表し、方程式を6つに分類して、解く公式を与え、いくつかには幾何学的な説明を加えた。後半はイスラーム法の遺産相続の問題を扱い、法律面でも重んじられた。825年の『インドの数の計算法』は、インド数学の記数法を扱った最古のアラビア語文献で、十進法表記での「0」の使用などを述べる。ラテン語訳は『アルゴリトミ』と呼ばれ、500年にわたり西洋の大学の主要な教科書となり、冒頭の「フワーリズミーに曰く」がアルゴリズムの語源となった。地理学ではプトレマイオスの世界論を受けた世界地図の作成に携わり、成果を『大地の概念』に取り入れたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アブー・ハフス・ウマル・バッルーティー (850年(推定))
- ゲオルギオス (850年没)
- セプティマニア辺境伯ギヨーム (850年)
- Wulfstan of Hedeby (850年)
- ラミロ1世 (アストゥリアス王) (850年没)
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