伝記
アーミナ・ビント・ワフブは、6世紀アラビアの女性で、イスラームの創唱者である預言者ムハンマドの実母である。クライシュ部族のズフラ氏族の出身で、父はズフラ氏族のワフブ、母はアブドゥッダール氏族の女性とされる。生年は伝わっておらず、若くして結婚したことだけが広く認められている。ワフブはズフラ氏族の有力者で、アーミナも高い身分にあったと古くから語られてきた。ただし現代の研究者の中には、これを後世にムハンマドの母への敬意から理想化したものかもしれないと考える者もいる。
アーミナの結婚は、アブドゥルムッタリブが末の息子アブドゥッラーの嫁にと、彼女の監護権を持つ伯父のウハイブに持ちかけ、承諾を得て成立したと伝えられる。別の伝承では、申し入れの相手はワフブだったともいう。イブン・サアドの伝える逸話では、アーミナとアブドゥッラーが婚約したのと同じ日に、アブドゥルムッタリブ自身もウハイブの娘ハーラと婚約し、ハーラは従姉妹のアーミナと同じ日に結婚したという。モンゴメリー・ワットは、この話が真実なら、イスラーム期以後に忘れられた婚姻の慣習があった可能性を指摘している。当時の慣習に従い、夫婦は結婚後の最初の3日間を新婦の実家で過ごしたとされる。
アーミナは妊娠したが、夫のアブドゥッラーは商用の旅の途中で、結婚から数か月後に病死したとされ、ムハンマドの誕生前とも幼少期ともいわれる。こうしてアーミナは寡婦となった。生まれた男子がのちのムハンマド・イブン・アブドゥッラーであり、彼女が生涯に産んだ子はこの一人だけである。再婚もしなかったと伝えられる。ムハンマドの懐胎をめぐっては、数々の奇跡的な伝承が残る。たとえばアーミナが、腹から放たれた強い光がブスラやダマスカスの宮殿を照らす夢を見たという話である。ただしイブン・ヒシャームら古い著者もこうした話には慎重で、ワットも、彼女の生涯の主な出来事は史実として認められても、奇跡譚まで同じ信頼を置く理由はないとしている。誕生後、アーミナはしばらく子と過ごしたのち、乳母のハリーマに預けた。ムハンマドは4歳ほどで戻り、およそ2年間を母と過ごした。ベドウィンのもとにいた期間を除き、母の存命中はずっとその庇護のもとで暮らし、おそらくアーミナの家族とともに生活したようである。
ムハンマドが6歳のころ、アーミナは子と、自身の奴隷ウンム・アイマンを連れてメッカを発ち、親戚の多いヤスリブへ向かった。アブドゥルムッタリブの母方の親族を訪ね、アブドゥッラーの墓にも参るためだったと伝えられるが、ワットは旅の理由を不確かとしている。約1か月滞在した後、メッカへ戻る途中で病気になり、577年あるいは578年ごろにアブワーウで亡くなって葬られたとされる。メッカで死んだとする伝えもあるが、イブン・サアドは誤りだとし、墓はアブワーウにあったと述べた。伝承では、628年にムハンマドがこの墓を訪れ、母のやさしさを思い出して感極まったという。その墓地は1998年に破壊された。孤児となったムハンマドは、父方の祖父アブドゥルムッタリブに引き取られた。
後世、イスラーム教徒の学者たちは、ムハンマドの両親の信仰と来世の運命を論じてきたが、統一された見解はない。両親が火獄にいると解釈できるハディースがある一方、両親は生き返ってイスラームに改宗したとする伝承もある。シーア派では、アーミナを含むムハンマドの先祖はみな一神教徒で、天国に入ると信じられている。
同じ年に亡くなった人物
- アレクサンドリアのアナスタシア (576年没)
- ゲルマヌス (576年)
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