伝記
シチリアのアガタは、聖アガタとも呼ばれるキリスト教の聖女である。カトリック教会、正教会、非カルケドン派で聖人とされ、正教会では聖致命女アガフィヤとして記憶される。記念日はグレゴリオ暦と修正ユリウス暦では2月5日、ユリウス暦を使う正教会では2月18日にあたる。250年ごろに殉教したとされ、カターニアの守護聖人である。カトリック教会のミサの中で名が読み上げられる七人の女性の一人でもある(聖母マリアは除く)。聖母を含めれば八人となる。
アガタはシチリア島のカターニアに生まれたとされ、生年は229年か235年ともいわれる。キリスト教徒の迫害が皇帝デキウスの命で行われていた時代の若い信徒だったと伝えられ、すでにその純潔をイエス・キリストに捧げていた。伝承によれば、美しいアガタは当時シチリアを支配していたローマ人の権力者に目をつけられたが、意に従わなかった。権力者は聖人伝集『黄金伝説』ではシチリアの総督クィンティアヌスとされ、はねつけられた腹いせに、アフロディシアという女が営む娼館へアガタを送った。しかしアガタは奇跡的に純潔を守ったという。怒りを深めた権力者は、キリスト教徒であることを理由にアガタを捕らえて苦しめ、拷問の中で両方の乳房を切り落とさせたとされる。このとき、アガタは「残酷な暴君よ、おまえが幼いころ乳を飲んだその乳房を、女の身から責めて恥ずかしくないのか」と答えたという。
その後、幻のなかでペトロが現れて傷を癒やしたが、拷問はやまなかった。アガタは火あぶりにされることになったが、刑が執行されようとしたとき地震が起き、処刑を免れたという。炭火の上に投げられ、カターニアの町なかを転がされたとも語られる。結局、獄中で命を落とした。死にのぞいて、神に感謝して大きな喜びの叫びをあげたとも伝えられる。亡くなったのは251年2月5日とされる。
死後も信仰は広がった。270年ごろ、カターニアの司教エウェリウスが墓所に礼拝堂を建てさせたといわれる。エトナ山が噴火した際には、人々がアガタのとりなしを祈り、溶岩が町の門前で止まったと語られ、以来、カターニアとシチリア全体、エトナ山周辺の守護聖人となり、火や雷、火山の害を防ぐために祈られる。313年に遺体を移そうとして掘り出すと、朽ちていなかったと伝わる。1040年には遺体がコンスタンティノープルの皇帝に贈られたが、1126年8月17日にカターニアに戻り、ルッジェーロ伯が1094年に建てさせた新しい大聖堂に納められ、現在も九つの聖遺物箱に守られている。1551年にオスマン帝国がマルタ島に侵攻したときも、人々がアガタにとりなしを祈り、島は守られたため、マルタの守護聖人ともなった。
アガタは、切り落とされた乳房を皿にのせて持つ姿や殉教者のしるしの棕櫚の枝を持つ姿で描かれることが多い。この乳房の形との関連から、鐘職人やパン屋の守護聖人とされてきた。近代に入ると乳癌患者の守護聖人ともされ、乳房の病、難産、授乳の悩みの際にも頼られ、看護師の守護聖人でもある。殉教の場面では、頭を下にして吊され、刑吏がペンチで乳房をねじる姿や、ペンチを手にする姿でも表される。火を防ぐ力の象徴として松明や燃える杖、ろうそくを持つこともあり、純潔の象徴として一角獣の角が添えられることもある。2月5日の祝祭はシチリアで最も大きな祭の一つで、女性の参加が目立つ。スペインのカスティーリャ・ラ・マンチャでも多くの町が祝い、ある町では焚き火を囲んで丸パンと甘いワインを楽しむ。
同じ年に亡くなった人物
- ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ (261年没)
- ティトゥス・フルウィウス・ユニウス・クィエトゥス (261年没)
- 大マクリアヌス (261年没)
- 小マクリアヌス (261年没)
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