HISTORICAL PERSON · 1736年没

ガブリエル・ファーレンハイト

ダンツィヒ生まれでオランダで活動したドイツ人技術者・物理学者。水銀を使った精密な温度計を製作し、華氏温度に名を残した。沸点が液体ごとに異なり大気圧で変動することや、過冷却水の凝固を発見した。

生涯
1736年没
死亡地
オランダ(南ホラント州 / デン・ハーグ)
出生地
ポーランド共和国(グダニスク)
出典
世界地図
オランダ(南ホラント州)

伝記

ダニエル・ガブリエル・ファーレンハイトは、1686年5月24日に生まれ、1736年9月16日に没した物理学者で、科学機器の製作者である。ポーランド・リトアニア共和国の王冠領プロイセンにあるグダニスク(ドイツ語名ダンツィヒ)で生まれたドイツ系の人物で、主にオランダで活動した。水と氷が共存する温度と健康な男性の体温を固定点とする温度目盛り、すなわち華氏(ファーレンハイト度)にその名を残している。華氏という表記は、中国語における彼の名前の音訳「華倫海特」に由来する。比重瓶、浮き秤、温度計の改良も行った。

生家はドイツのハンザ同盟都市で活動した商人の家系で、曾祖父はロストックに住み、一族はヒルデスハイムの出身と考えられている。祖父はケーニヒスベルクからダンツィヒに移って1650年に商人として身を立てた。父ダニエルは、ダンツィヒの有名な商家の娘コンコルディア・シューマンと結婚し、ガブリエルは生き残った5人の子のうち最年長であった。若いころは「学問への格別の望み」を示し、地元のギムナジウムに入る予定だったが、1701年8月14日、両親が毒キノコを食べて亡くなった。きょうだいとともに後見人の下に置かれ、1702年には簿記の課程に入れられたのち、アムステルダムで4年間の商業見習いに出された。

アムステルダムで商業を学ぶうちに物理学へ興味を抱き、科学装置の製造に従事するようになり、ガラス器具を作る技術を身につけて、ガラス工芸家として、また物理や気象の器具の製作者として働いた。見習いを終えると出奔し、1707年からドイツ、スウェーデン、デンマークなどを旅した。後見人の求めで、東インド会社に勤めさせるための逮捕状まで出されたという。1706年ごろにはすでに、フィレンツェ式の温度目盛りを用いた気圧計やアルコール温度計を作って送っていた。1708年にはコペンハーゲンの市長で天文学者のオーレ・レーマーに会い、その温度目盛りと温度計の作り方を教わった。精密な温度計の需要が高いと聞いたことが、製品を改良する励みとなった。旅は10年に及び、各地の科学者と出会う中で、標準となる温度計の必要性を知った。ライプニッツとも文通している。

1713年ごろから水銀温度計の実験を始め、それまでのアルコール温度計の不正確さを、純度の高い水銀と精密な製作技術によって克服した。当初はレーマーの目盛りを改めて用いていたが、これがのちに自身の華氏目盛りへ発展する。1714年にはアルコール温度計も作った。1717年か1718年にアムステルダムへ戻って気圧計や浮き秤、温度計を商業的に売り出し、1721年には製作と標準化の工程を完成させた。水銀温度計は優れていたために広く普及し、華氏が普及するきっかけとなった。1721年には、過冷却した水が揺さぶられて凝固することを発見している。

1718年からアムステルダムで化学を教え、1724年にイギリスを訪れて王立協会のフェローに選ばれた。同年にラテン語の論文5本を協会の機関誌に発表し、その中で自作の温度計と基準点を説明した。自作の温度計で様々な液体の沸点を測り、沸点が液体ごとに異なり、大気圧によっても変わることを見いだした。1732年にはブールハーフェとともに異なる物質の混合実験を行い、混合後の温度が初めの温度の平均にならないことを発見した。これはのちにジョゼフ・ブラックが比熱で説明した。晩年までアムステルダムに住み、1736年にハーグで亡くなった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物