伝記
アルナウト・ダニエルは、中世フランス南部の吟遊詩人トルバドゥールの一人で、オック語による押韻の技巧を凝らした詩で知られる。アルノー・ダニエルとも表記される。活動時期は1180年頃から1200年頃とされ、没年は1210年とも伝わる。ダンテから「より優れた匠」と称えられ、ペトラルカからは「愛の大家」と呼ばれた。20世紀にはエズラ・パウンドが『ロマンスの精神』(1910年)で、史上最高の詩人と称賛している。
生涯についてわかることはごくわずかで、伝記集ヴィダスに短い記述があるだけである。それによれば、アキテーヌ地方ペリゴールのリベラック村にあった城で、高貴な身分に生まれた。学問と詩作に励んだが、のちに地位を捨ててジョングルールとなり、諸国を遍歴したという。ガスコーニュの身分の高い既婚の貴婦人に恋をしたが、その思いが叶えられたとは誰も信じなかったと記されている。ヴィダスは、彼がよく読み書きを学び、凝った韻で詩を作ることを楽しんだとも伝える。一方、同時代の乏しい史料からは、経済的に困窮した道化のような人物であったことがうかがえる。ライモン・ド・デュルフォールは、彼を「さいころ遊びで身を滅ぼした学生」と呼んだ。また彼自身が、風を愛し、牛を使って野ウサギを追い、流れに逆らって泳ぐ者だと歌ったことも伝えられている。
詩の最大の特徴は、思想と表現がきわめて難解なことである。これはトロバール・クリュ(閉じた詩)と呼ばれる作風で、このやり方を採る詩人たちは、聞き慣れない語や表現、謎めいた暗示、複雑な韻律、珍しい押韻によって、意味をわざと分かりにくくした。彼のカンソも、あまりに難しいために理解することも覚えることも容易でなかったとされる。彼はさらに、どの行も同じ連の中の行とは韻を踏まず、次の連の対応する行とだけ韻を踏む形の詩節も考案した。
また彼は、6行からなる連を6つ重ね、各連の行末の語を順序を変えながら繰り返すセスティーナの考案者として知られる。この形式はのちにダンテが複数の詩で用い、ペトラルカも何編かのセスティーナを書き、イタリアの詩人たちの間に広まった。イタリア北部の清新体派の詩に影響を与えたことも、ダンテが『神曲』の中で示唆している。残された作品は、数え方によって16編とも19編のカンソともいわれ、年代を正確に特定できるのは1181年の一編だけである。「我が心にしのびこむ この切なる恋の思いを」「我が知ることは 悲しみのみ」などの冒頭句で知られる作品が含まれる。少なくとも一編には曲が伝わるが、詩人の没後少なくとも百年後に無名の作者が付けたもので、もとの旋律は残っていない。
『神曲』煉獄篇第26歌では、彼は肉欲の罪を償う者として登場し、問いかけに対してオック語で自分の名を名乗り、泣きながら歌って進む者だと答える。過ぎた愚行を悔い、希望する喜びを思って喜ぶとも語る。ダンテはこの箇所をオック語で書いており、ある注釈者は、開かれたイタリア語の詩の甘美さに比べて、閉じた難解なトルバドゥールの詩を皮肉ったものだと見ている。なお、ロングフェローは彼を騎士物語『湖のランスロ』の作者とも述べたが、根拠はまったくなく、ダンテが彼を「ロマンスの散文」の作者としていることは謎のままである。この場面は、T・S・エリオットの詩集の題『アラ・ヴォス・プレク』や、『荒地』の献辞と結末にも響いている。
同じ年に亡くなった人物
- リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公) (1210年代没)
- ハルトマン・フォン・アウエ (1210年代没)
- マティルド・ド・ブローニュ (1170-1210) (1210年没)
- クトゥブッディーン・アイバク (1210年没)
- ウォルター・マップ (1210年没)
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