伝記
クローヴィス1世は、466年頃に現在のベルギー領トゥルネーで生まれたとされるフランク人の王で、メロヴィング朝フランク王国の初代国王である。父はサリー・フランク族の王キルデリク1世、母はテューリンゲンの王女バシナと伝えられる。当時のサリー・フランク族は、今日のフランスとベルギーの国境付近、トゥルネーやカンブレーを中心とするライン川低地西部を占めるにすぎず、多数のフランク人小王国のひとつだった。父の死により481年頃に王位を継いだとき、彼はまだ15歳ほどだったという。
即位から486年までの5年間の動きは分かっていない。486年、ソワソンの戦いでガリア北部を支配していたシアグリウスを破り、領土を一挙にロワール川の北にまで広げて、ローマ属州ベルギカ・セクンダを支配下に置いた。さらに妹のアウドフレドを東ゴート王テオドリックに嫁がせて同盟を固め、493年にはブルグント王国の王女クロティルドとソワソンで結婚した。彼は複数の妻をもつ生活を送っていたが、王妃クロティルドは熱心なカトリック信者で、その勧めが後の改宗につながったとされる。
496年から497年にかけてアラマンニ人に勝利したのち、クローヴィスはカトリックに改宗した。洗礼の時期は496年から502年とも498年から506年ともいわれ、場所も史料では明らかでない。9世紀にランス大司教ヒンクマールが受洗地をランスだと強く主張したため、のちにランスの大聖堂で歴代フランス王の戴冠式が行われるようになった。西ゴート族やヴァンダル族はすでにキリスト教に改宗していたが、その宗派はアリウス派であった。ガリアの住民の大半がカトリックだったため、この改宗は、ゲルマン諸王のなかで初めてのカトリック改宗として、ローマ系住民との絆を強める結果になった。
500年にはディジョンでブルグント王国と戦い、507年にはヴイエの戦いで西ゴート王アラリック2世を破った。勢いに乗って西ゴートの都トゥールーズまで進み、アキテーヌの大部分を手に入れた結果、フランク王国の領土は北海からピレネー山脈にまで広がり、西ゴート王国はイベリア半島に押し込められた。508年には東ローマ皇帝アナスタシウス1世からアウグストゥスの称号を贈られ、執政官に就いた。トゥール郊外の聖マルティヌス教会堂で皇帝から送られた紫衣をまとい冠を戴き、市民の歓呼のなかを行進したという。この儀式は、武力で得たガリア支配に、当時最高の権威による承認を与えるものだった。同じ508年には、セーヌ川左岸に聖ペテロとパウロに捧げる修道院を築いた。
晩年のクローヴィスは、フランク人の小王たちを次々に策略にかけ、ほとんど全員を除いたと伝えられる。これによりメロヴィング朝は他の家系に脅かされず、300年近く続いたと言われる。511年11月27日に世を去り、パリ北方のサン=ドニ大聖堂に葬られた。領地はフランク人の慣習に従い、4人の息子テウデリク、クロドメール、キルデベルト、クロタールに分割された。生涯についてはトゥール司教グレゴリウスが年代記に詳しく記している。パリに都した彼は、フランス人の伝統では最初のフランス王とされ、その名クローヴィスは、のちのフランス王が名乗ったルイという名の源とされる。
同じ年に亡くなった人物
- ゲサリック (511年没)
同じ地域に関係する人物
- パーヴェル・キセリョフ (1872年没)
- アンドレ・オフレ (1953年没)
- シャルル・ダッバス (1935年没)
- ヴィクトル・ユーゴー (1885年没)
- アンリ・コルバン (1978年没)