伝記
エウドキア(エウドクシアとも)は、西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世と皇后リキニア・エウドクシアの長女である。439年に生まれた(438年ともされる)。没年は466年から474年の間とされ、471年または472年ごろにエルサレムで没したともいわれる。母方の祖父は東ローマ皇帝テオドシウス2世、祖母は詩人でもあったアエリア・エウドキアで、父方の祖父母は西ローマ皇帝コンスタンティウス3世とガッラ・プラキディアにあたる。皇帝家の血を引く皇女としてラヴェンナの宮廷で育った。
440年代半ば、4、5歳のころに、エウドキアはヴァンダル王ガイセリックの子フネリックと婚約した。このころフネリックは人質としてイタリアにおり、婚約は西ローマの宮廷とアフリカのヴァンダル王国との関係を改善するためのものだった。ただし、エウドキアがまだ幼かったため、結婚はそのときには行われなかった。
455年に父が暗殺されると、後継のペトロニウス・マクシムスは、エウドキアの母に自分との結婚を強い、エウドキア自身も自分の子パラディウスと結婚させた。これに対し、母の求めによるともいわれるが、ヴァンダル族がイタリアに侵入し、ローマを略奪した。エウドキアは母と妹プラキディアとともに捕らえられ、ガイセリックに連れられてカルタゴへ移された。7年後、母と妹はコンスタンティノープルへ送られたが、エウドキアはアフリカに残り、460年ごろにフネリックと結婚した。二人の間には、のちの523年から530年までヴァンダル王となるヒルデリックが生まれた。ガイセリックは、この嫁を利用して東ローマ皇帝を悩ませ、戦いの口実を得ようとしたとされる。
ヒルデリックの誕生後のあるとき、エウドキアはアリウス派の夫との宗教上の違いから、エルサレムへ身を寄せた。夫が正統派信徒の迫害を始めたため脱出したともいわれ、472年にフネリックから離縁されたとする説もある。エルサレムでは訪れた聖地を巡り、祖母アエリア・エウドキアの墓所に葬られたとされる。息子のヒルデリックは母方を通じてテオドシウス朝の血を引き、コンスタンティノープルの宮廷で約40年を過ごしたと伝えられる。
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