伝記
ロザリン・カーターは、1927年8月18日にジョージア州プレーンズで生まれ、2023年11月19日に亡くなったアメリカの元ファーストレディである。第39代大統領ジミー・カーターの妻で、本名はエレノア・ロザリン・スミス。夫とは1946年の結婚から亡くなるまで連れ添い、精神保健と女性の権利の擁護者として知られた。
父エドガーは自動車整備工や農家を営み、母アリーは婦人服の仕立て屋として働いていた。ロザリンは4人きょうだいの長女で、家は貧しかったが、周囲も同じだったので、自分たちは恵まれていると思っていたと後に語っている。13歳だった1940年に父が白血病で亡くなると、これを子供時代の終わりと呼び、母の洋裁を手伝って弟妹を育てた。母からは、やらねばならないことはやれるのだと学んだという。プレーンズ高校を首席で卒業し、ジョージア・サウスウェスタン州立大学に進んで1946年に卒業した。ジミーとは1945年、彼が海軍兵学校に在学していた時期に交際を始め、1946年7月7日にプレーンズで結婚した。ジャック、チップ、ジェフ、エイミーの4人の子をもうけた。1953年にジミーが海軍を退くと、家業のピーナッツ栽培と倉庫業を手伝い、1962年に彼がジョージア州議会議員に選ばれてからは政界でも夫を支えた。州知事夫人になると、精神疾患や情緒障害のある人へのサービス改善を目指す州の委員会の委員に任じられた。委員会の提言の多くは承認されて法制化された。アトランタの病院で5年間ボランティアをし、知的障害児のためのスペシャルオリンピックスの州名誉議長も務めた。1976年の大統領選に向けては、夫に代わって41州を単独で遊説した。
1977年1月20日の就任式では、夫妻は手に手を取ってペンシルベニア通りを歩いた。彼女は6年前の服を着ていたという。ホワイトハウスの記者団は、その愛らしさと粘り強さから彼女を「鋼のモクレン」と呼んだ。夫の最も親しい助言者であり腹心で、多くの閣僚会議に出席し、1977年にはラテンアメリカへの特使も務めた。自分の執務室に書類かばんを持ち込んだ最初のファーストレディでもあった。メンタル・ヘルス大統領委員会の名誉議長として、メンタル・ヘルス・システム法の成立に貢献した。1980年の選挙でも夫のために遊説したが、選挙対策の責任者から接戦でレーガン陣営が優勢と告げられ、苦悶して屈み込んだ。夫は敗れた。
1970年、州知事夫人だったロザリンは、末子エイミーの子守としてメアリー・プリンスを選んだ。正当防衛を訴えながら殺人罪で終身刑を受け、模範囚として更生プログラムを受けていた黒人女性である。ホワイトハウスにも同行したため大きな議論を呼び、『サタデー・ナイト・ライブ』でも悪意を持ってパロディー化された。それでもカーター夫妻、とりわけロザリンは、黒人であるために十分な捜査も裁判も受けられず不当に重い刑を課されたと信じて、彼女を中傷から守った。関係はエイミーが成人した後も続いた。
プレーンズへ戻ってからも活動は続き、1984年には自叙伝『プレーンズ出身のファーストレディ』を出版した。ハビタット・フォー・ヒューマニティーの助言者を務め、2001年に全米女性の名誉の殿堂入りを果たし、カーター・センターの副会長でもあった。1987年には介護者を支える研究所を設立し、1999年には夫とともに大統領自由勲章を受けた。2023年5月30日に家族が認知症であると公表し、同年11月19日に自宅で亡くなった。
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