HISTORICAL PERSON · 2022年没

水木一郎

日本の歌手、作曲家、声優。「アニメソング界の帝王」と呼ばれ、愛称は「アニキ」。『おかあさんといっしょ』の2代目うたのおにいさんを務めたことが由来。

生涯
2022年没
死亡地
日本(東京都)
出生地
日本(世田谷区)
出典
世界地図
日本(東京都)

伝記

水木一郎は、1948年1月7日に東京都世田谷区で生まれた歌手、作詞家、作曲家、声優である。本名は早川俊夫。「アニメソング界の帝王」と呼ばれ、「アニキ」の愛称でも親しまれた。この愛称は、NHKの『おかあさんといっしょ』で2代目のうたのおにいさんを務めたことに由来する。実家がレコード店だったため、幼いころからジャズなどに親しみ、特にアメリカの音楽から強い影響を受けた。当初は落語家を目指し、学生時代には落語会を開いていた。

1964年、ジャズ喫茶で顔なじみになったザ・ドリフターズの桜井輝夫に勧められ、新宿歌舞伎町のジャズ喫茶のコンクールに出場して優勝した。これが本格的なデビューのきっかけとなった。1965年には作曲家の和田香苗に師事している。1968年、カンツォーネ調の「君にささげる僕の歌」で日本コロムビアからレコード・デビューしたが、売れ行きは振るわず、マネージャーとの不仲もあって一時は歌手を退いた。先輩歌手の九条万里子との結婚が決まり、新人の自分が身を引いたと、のちに『徹子の部屋』で語っている。その後は生活のためにナイトクラブやキャバレーで歌った。

歌手をやめて作曲家に転じようとしていた1971年、日本コロムビアの木村英俊の勧めで、アニメ『原始少年リュウ』の主題歌「原始少年リュウが行く」を歌った。これを境に活動の中心をアニメソングに移していく。以前から映画音楽を歌いたい思いがあり、抵抗はなかったという。ただ、当時のアニメソングは「漫画の歌」と呼ばれ、歌謡曲と同じ土俵には立てず、何十万枚を売っても音楽番組に出られない時期もあった。

その後は『マジンガーZ』(1972年)、『バビル2世』(1973年)、『グレートマジンガー』(1974年)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)など、アニメや特撮の主題歌を数多く歌った。転向後の最初の4年間で、子ども向け番組の主題歌をおよそ150曲発表し、累計の売り上げはおよそ600万枚に達した。1973年発売の『マジンガーZ』の主題歌は70万枚の大ヒットとなり、1978年の『宇宙海賊キャプテンハーロック』の主題歌は、当時のアニメソングとして驚異的な初回プレス15万枚で、68人のシンフォニー編成を背に録音された。これらの逸話から、「アニメソングの女王」堀江美都子と並んで「帝王」と呼ばれるようになった。1976年4月から1979年3月まで、『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさんも務めた。1982年には、担当した主題歌のレコードの総売り上げが700万枚以上となり、『ギネスブック』に載った。

1990年前後には、ラジオ番組をきっかけに「雄叫び」系のアニメソングが注目され、ベスト・アルバム『吠える男 水木一郎ベスト』などを出した。1997年に日本コロムビアとの専属契約を終えてフリーとなり、同年にはアニメソング界を担ってきた歌手たちが集まる「スーパーロボット魂」ライブが始まって、これを牽引した。1999年にはテレビ番組の企画で、山梨県の河口湖で「24時間1000曲ライブ」を行っている。2000年には影山ヒロノブらとジャム・プロジェクトを結成したが、多忙のため2002年に「非常勤」を宣言した。

2001年には香港でのライブで現地のファンから大きな「アニキコール」を受け、2010年には『仮面ライダーW』に出演し、上海万博でも歌った。2011年には東日本大震災の復興支援イベントでも歌っている。2022年12月6日に亡くなった。晩年は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の近くに暮らした。

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