伝記
ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスは、アンゴラの軍人、政治家、革命家で、第2代アンゴラ共和国大統領である。アンゴラ解放人民運動の議長も務めた。1942年8月28日、ポルトガル領アンゴラの首都ルアンダの、現在のサンビザンガ地区に生まれた。両親はサントメ・プリンシペから移り住んだ人で、母は家政婦、父は建設労働者だった。ルアンダで初等教育を受け、中等教育はサルバドール・コレイア高等学校で受けた。
学生だった1956年にアンゴラ解放人民運動に加わり、これが政治経歴の始まりとなった。宗主国ポルトガルの弾圧を逃れて、1961年に国外へ亡命し、フランスを経て、のちに隣のコンゴ共和国に逃れたとされる。亡命先からこの運動と協力して正式な党員となり、党内で台頭して副議長にもなった。学業は亡命のため中断していたが、ソ連に移ってアゼルバイジャンの石油化学系の大学に学び、1969年までに石油工学とレーダー通信などの学位を得た。
1970年にアンゴラへ戻り、運動の軍事部門であるアンゴラ解放人民軍に所属した。カビンダ州にあたる第二政治・軍管区で無線送信を担当し、独立戦争に加わった。1974年には第二管区の電気通信担当の副司令官となり、同時に運動の外交担当コーディネーターに就いた。ユーゴスラビア、ザイール、中華人民共和国への運動の代表も務め、1974年9月に運動の中央委員会と政治局の委員に選ばれた。1975年11月にアンゴラはポルトガルから独立したが、ほどなく内戦に突入した。独立とともに初代の外務大臣となり、新政権の外交承認を得るうえで重要な役割を果たしたとされる。内戦の初期には議長兼外交政策担当書記となり、1976年に書記を交代した。
1979年9月、初代大統領のアゴスティニョ・ネトが死去すると、後継の大統領に就任した。以後2017年9月に退任するまで38年にわたる長期政権を維持し、これはアフリカでは赤道ギニアのオビアン・ンゲマ大統領に次ぐ長さだった。ソ連の支援を受けつつ、西側が支援する反共産主義の反政府勢力、とりわけ全面独立アンゴラ民族同盟との内戦を引き継いだ。1991年には反政府勢力との間で複数政党制の導入に合意し、与党の路線を共産主義から社会民主主義へ改めた。1992年の総選挙ではその同盟の指導者サヴィンビを破って大統領に選ばれ、市場経済化と石油部門の開発を進めた。2002年にサヴィンビが死去して内戦は政府側の勝利に終わった。国際社会からは反植民地主義への貢献や和平交渉の促進で多くの国際的な賞を受け、外国からの投資を呼び込んだ点を評価された。一方で独裁者との批判を受け、根深い恩顧のネットワークをもつ、アフリカでも屈指の腐敗した政権をつくったとも非難された。
2013年12月には、娘が企画したマライア・キャリーのコンサートに出席し、百万ドルとも指摘される出演料とともに話題になった。2016年3月に2年後の政界引退を表明し、2017年8月の大統領選挙には出馬せず、9月26日に退任して、党の同僚ジョアン・ロウレンソが後を継いだ。2020年1月には、アフリカ一の女性富豪といわれる長女イサベルが、公共事業の受注や租税回避で巨額の富を得た疑いがあると報じられた。2021年9月、滞在先のバルセロナから2年数か月ぶりに帰国し、2022年7月8日、心不全のためバルセロナの病院で死去した。79歳だった。
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