HISTORICAL PERSON · 2022年没

ヴィヴィアン・ウエストウッド

イギリスのファッションデザイナー。キングズ・ロードのブティックでマルコム・マクラーレンとともに服を作り、セックス・ピストルズらの1970年代のパンク・シーンを形作った。

生涯
2022年没
死亡地
イギリス連邦(ランベス区 / クラップハム)
出生地
イギリス連邦(ホリングワース)
出典
世界地図
イギリス連邦(ランベス区)

伝記

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、イギリスのファッションデザイナーで実業家である。1941年4月8日、イングランド中部のチェシャーに、ヴィヴィアン・イザベル・スウェアとして生まれた。若い頃は美術教師を志し、ハーロウ美術学校で学んだのち、ウエストミンスター大学を卒業したとされる。最初の夫はデレク・ウエストウッドで、長男ベンジャミンをもうけたが、1965年に破局した。1967年には、左翼政治団体のシチュアシオニスト・インターナショナルの影響を受けて活動していたマルコム・マクラーレンと出会い、次男ジョセフが生まれている。

1971年、マクラーレンとともにロンドンのキングズ・ロード430番地にブティック「レット・イット・ロック」を開いた。1974年に店名を「SEX」に改め、1975年にはマクラーレンとともにパンク・ロックバンドのセックス・ピストルズをプロデュースしている。バンドのメンバーはこの店の従業員や常連客であり、のちにマクラーレンはバンドのマネージャーになった。服飾と音楽を結びつけた二人の才能は、1970年代のイギリスのパンク・シーンを形づくったとされる。ウエストウッドはパンクを、どうすれば体制に一石を投じられるかを探るものと捉えていた。SMの要素を採り入れたパンクのスタイルを流行させ、「パンクの女王」と呼ばれるようになった。

店名は1976年に「セディショナリーズ」、1979年に「ワールズ・エンド」と変わり、この店は21世紀に入ってもキングズ・ロード430番地にある。1981年には初のキャットウォークでのコレクションを発表し、テーマはサヴェッジとパイレーツだった。翌1982年にはホーボーとバッファローを掲げ、当時のテーマは「金と財宝、冒険と探検」であった。その後は、19世紀以前のヨーロッパの衣装に着想を得た、エレガントな路線へと傾向を改めた。1993年にレディース部門を分け、ファーストラインを「ゴールドレーベル」、プレタポルテとライセンスを「レッドレーベル」とし、1998年には過去のコレクションを復刻したカジュアルライン「アングロマニア」を発表した。店舗は世界中に広がった。2006年には、ファッションデザイナーとしての貢献によりデイムの称号を授けられた。

政治的な活動も多かった。1989年4月にはマーガレット・サッチャー首相に扮して雑誌『タトラー』の表紙を飾り、「この女性はかつてパンクだった」という添え書きが付いて、のちに英国の雑誌の表紙のベストに選ばれた。2005年には公民権団体リバティと協力し、「私はテロリストではありません、どうか逮捕しないでください」という文句の入ったTシャツを売って、団体の資金を集めた。2008年のイースターサンデーには、核軍縮のデモに自ら参加している。2013年にはコレクションの一つを内部告発者のチェルシー・マニングに捧げ、翌年には気候変動の危険を訴えるために髪を切った。2015年には緑の党への支持を表明し、水圧破砕法によるシェールガス採掘に反対して、キャメロン首相に対し戦車で抗議した。同党に30万ポンドを寄付したと報じられた。2017年と2019年の総選挙では労働党のジェレミー・コービン党首を支持した。ジュリアン・アサンジの長年の支援者でもあり、2020年7月にはロンドンの裁判所の外で、巨大な鳥かごに身を吊るして引き渡しに反対した。

2022年12月29日に死去した。2023年の死後初のコレクションは、晩年のパートナーが導き、ランウェイには孫娘のコーラ・コーレがモデルとして登場した。

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