伝記
登塔者シメオンは、390年頃に生まれ、459年に没した聖人で、最初の登塔者(柱頭行者)である。正教会、非カルケドン派、カトリック教会で崇敬される。生年は388年か389年ともいわれる。柱頭行者という訳語はカトリック教会などで用いられ、登塔者は正教会での訳語である。
伝承では、シメオンはキリキア州の羊飼いの息子として生まれた。別の伝えでは、シリア北部のシサンの出身とされる。13歳のとき、聖体礼儀で福音書の一節として読まれた真福九端の冒頭に感動し、あるいは雪の日に避難した教会でその朗読を聞いて、信仰への熱意を抱いたという。やがて修道院に入った。滞在は18年とも10年ともされ、あまりに激しい労働と祈り、断食に励んだため、修道院長は健康を害することを恐れてたびたび止めたと伝えられる。断食をめぐっては、周囲の修道士に疑われ、修道院を出るよう命じられたとの話もあるが、それでもシメオンは毎年この断食を繰り返したという。
そののちシメオンは、絶えず祈るために山へ入り、孤独から逃れたい願いが生じるのを恐れて、大きな石に鎖で自分を縛りつけた。これを聞いたアンティオキアの主教メレティオスが訪れ、「人間は自分の意志の力で自ら制御していくのです」と教えると、シメオンはすぐに鎖を解いたという。やがて巡礼者の群れが押し寄せ、祈りと取りなしを求めて、自分の祈りの時間がなくなっていった。そこでシメオンは、廃墟に残っていた柱の上に暮らすことにした。水平には世を逃れられないので、垂直に逃れようとしたのである。生活の糧は、村の少年たちが柱に登って届けるパンと山羊の乳だった。のちには高さ約18メートル(60フィート)の塔が築かれ、頂上の小屋は推定およそ4メートル四方で、そこで絶え間なく祈ったと伝えられる。頂上は立つか座るのがやっとの広さで、横になることはできなかった。アラブ人の王ヌウマーンが巡礼者の訪問を妨げようとしたが、幻視によって思いとどまったとも語られる。
こうした特異な修道を、他人に優れようとする傲慢ではないかと疑った修道士たちは、使者を送った。使者には、塔から下りるよう伝え、聞き入れなければ力づくで下ろし、すぐ下りようとしたなら、それは謙遜から出たものだから塔にとどめよ、と命じていた。シメオンはただちに下りようとしたので、使者たちはシメオンを塔の上にとどめた。シメオンは人々の相談に乗り、病人のために祈り、祈りで多くの病人が癒されたと伝えられる。人々に誉められることを許さず、光栄を神に帰して感謝させた。
塔の上での修行は40数年にわたったとされ、フランス語圏では37年ともいわれる。459年に永眠し、70歳ほどで祈りの姿のまま亡くなったため、信者たちが死に気づくのに二日かかったとも伝わる。遺体を安置した聖堂では、耳が聞こえず口も利けない少年が癒される奇蹟が起きたという。主な伝記作者は同時代人のキュロスのテオドレトスである。死後、シメオンにならって塔に登る修道士が何人か現れたが、この形式はやがてすたれた。それでも多くの弟子に大きな影響を与えた。柱があった場所は現在のシリア・アレッポ県にあたり、柱は現存し、周囲に建てられた聖シメオン教会(現在は廃墟)の一帯は、シメオン山(ジャバル・サマーン)と呼ばれる。記憶日は正教会で9月1日、西方教会で1月5日である。世界一長く柱の上に座り続けた人物としてギネスブックに掲載されている。
同じ年に亡くなった人物
- ホルミズド3世 (459年没)
同じ地域に関係する人物
- Asia Ramazan Antar (2016年没)
- カルキスのイアンブリコス (325年没)
- アル=カビーシー (967年没)
- スレイマン・シャー (1227年没)
- ベハ・アッディーン (1234年没)