伝記
コリン・ルーサー・パウエルは、1937年4月5日にニューヨーク市のハーレムで、ジャマイカ系移民の息子として生まれたアメリカ合衆国の軍人・政治家である。陸軍大将で退役し、ジョージ・W・ブッシュ政権で第65代国務長官を務めた。軍事行動を始める前に確認すべきチェックリストとされる軍事ドクトリン、パウエル・ドクトリンを考案した人物でもある。
サウス・ブロンクス地区で育ち、ニューヨーク市立大学シティカレッジで地学を専攻するかたわら、予備役将校訓練課程を受講した。1958年に卒業して少尉として陸軍に任官したが、これはトルーマン大統領が軍における人種や肌の色などに基づく差別を撤廃した1948年から、ちょうど10年後のことだった。ベトナム戦争には1962年から1963年と1968年から1969年の2度従軍し、負傷もした。南部にはなお厳しい人種隔離政策が残る時代に、アフリカ系アメリカ人として異例の出世を遂げた。1971年にはジョージ・ワシントン大学大学院で経営学修士課程を修了している。レーガン政権では予備役に退いたうえで国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。
1989年にレーガン政権が終わると、統合参謀本部議長への就任を前提に現役へ復帰して大将に昇進し、陸軍総軍司令官を半年間務めた。同年10月、ジョージ・H・W・ブッシュ政権の指名でアフリカ系アメリカ人初の統合参謀本部議長に就任し、パナマ侵攻や湾岸戦争を指揮した。1992年の大統領選挙では副大統領候補として名前が取りざたされ、当選したクリントンが国務長官に充てるとの報道もあったが、いずれも実現しなかった。1993年に退役して自伝『マイ・アメリカン・ジャーニー』を出版し、1996年の大統領選挙に向けた世論調査では幅広い層の圧倒的な支持を示したが、出馬しなかった。妻が激しい中傷合戦への巻き込まれを懸念したからとも、黒人が大統領になれば暗殺されるとして妻が反対したからともいわれる。
2000年の大統領選挙ではブッシュ陣営の外交問題アドバイザーを務め、当選後にアフリカ系アメリカ人初の国務長官に任命された。レーガン政権以来の盟友リチャード・アーミテージが国務副長官となり、ともに政権内の穏健派を形成した。国務長官在任中の国際連合安全保障理事会では、イラクが大量破壊兵器を開発している証拠を列挙した。しかしその根拠には、ドイツに出国した男性エージェントが永住権を得るために語った虚偽の話を、CIAが事実と誤認したものが含まれていたという。退任後、パウエルはこの発言を誤りだったと認め、著書で人生最大の汚点と述べている。2004年11月に辞任の意思を表明し、2005年に職を辞した。中道派で国連協調路線だったため、有志連合を指向する右派が主導する政権内で孤立したことが原因と考えられている。
共和党員でありながら、人工妊娠中絶や積極的差別是正措置を容認し、合理的な範囲の銃規制にも賛成するなど、リベラルや中道にも理解を示した。ベトナム戦争の経験から軍隊の抑制的な使用という考えを持ち、軍事力は行使するなら国際的な協調を得たうえで圧倒的な規模で行うべきだとした。2008年の大統領選挙では、終盤の10月19日にテレビ番組で民主党のオバマへの支持を表明し、共和党右派から裏切り者と批判された。2020年にはバイデン支持を打ち出した。晩年は多発性骨髄腫との闘病が2年近く続き、パーキンソン病とも闘っていたとされる。2021年10月18日、新型コロナウイルス感染症の合併症のため、メリーランド州ベセスダで死去した。
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