伝記
盧泰愚(ノ・テウ)は、1932年8月17日に大邱府近郊の達城郡公山面で生まれ、2021年10月26日に没した大韓民国の軍人・政治家である。第13代大統領を務め、同国最後の軍人出身の大統領であり、軍での最終階級は大将だった。
朝鮮戦争の勃発に伴って入隊し、陸軍士官学校の11期生として全斗煥と同期になった。卒業後は歩兵小隊長、防諜部隊の情報将校、歩兵大隊長などを経て、ベトナム戦争に派遣されて武功勲章を受けた。その後は第9空輸特戦旅団長や第9歩兵師団長などを歴任し、この間に全斗煥らと軍内の私組織ハナフェを結成した。1979年12月12日、第9師団長だった盧は全斗煥らとともに粛軍クーデターを起こした。米韓連合司令部の同意なしに第9師団第29連隊をソウルに展開させ、クーデター成功の一翼を担ったとされる。その後は首都警備司令官、国軍保安司令官を務め、1981年に陸軍大将となって予備役に編入された。政務第二長官を経て、体育相やソウルオリンピック組織委員会の委員長としてオリンピックの実務を取り仕切った。1982年には、大量殺人事件の直後に辞職した内務部長官の後任として内務部長官に就き、これが政界への足がかりになった。
1987年6月10日、与党・民主正義党の大統領候補に選ばれると、軍部独裁を糾弾する市民のデモが本格化した。6月29日、全斗煥大統領の意向を受けた盧は、大統領直接選挙制の導入と反体制派政治家の赦免・復権を骨子とする政治宣言を発表した。同年12月16日の選挙では、文民出身の候補である金泳三と金大中に票が分散したこともあって当選した。「普通の人」を掲げ、親しみやすさと耳の大きさを前面に出して、従来の軍人出身大統領とは異なる印象を与えたという。1988年2月25日に就任した。
在任中は全斗煥政権時代の不正を追及する一方、総選挙で与党が敗れて与小野大の国会となると、金泳三や金鍾泌を取り込んで民主自由党を発足させ、国政の安定を図った。外交では冷戦終結を受けて北方外交を掲げ、1990年にソビエト連邦、1992年に中華人民共和国と国交を樹立した。この結果、韓国は中華民国(台湾)とアジアで最後に断交した国となった。1990年には民主化後の大統領として初めて来日し、従軍慰安婦問題を対日交渉の場に載せた最初の大統領でもあった。翌年に訪韓した海部俊樹首相には在日韓国人の指紋押捺の廃止を求め、後に実施された。朝鮮半島では1991年9月に南北の国連同時加盟を実現し、12月には南北基本合意書を締結した。
1993年2月に退任したが、1995年に政治資金の隠匿が発覚して拘束された。同年12月には反乱首謀などの容疑で起訴され、光州事件でも追起訴された。1996年8月の一審は懲役22年6カ月と追徴金を言い渡し、1997年4月の最高裁は懲役17年と追徴金2688億ウォンを宣告した。同年12月22日、金泳三大統領により特別赦免された。
晩年は2002年に前立腺がんの手術を受け、小脳萎縮症も患った。2010年代にはほぼ入院生活で、言葉も十分に話せなくなったが、息子を通じて光州事件への謝罪を表明し、毎年光州墓地に代理で参拝させた。2021年10月26日、ソウルの病院で88歳で死去した。遺言には、在任中に責任や過ちがあれば寛大な許しを願い、歴史の悪い面は全て背負っていくとの趣旨が記されていたという。文在寅政権は国家葬とすることを決め、10月30日にオリンピック公園で営まれたが、光州広域市など一部の自治体は弔旗の掲揚を拒否し、評価は分かれた。
同じ年に亡くなった人物
- レイモンド・オディエルノ (2021年没)
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