HISTORICAL PERSON · 2021年没

ボブ・ドール

アメリカの政治家。共和党の上院院内総務を長く務め、1996年の大統領選挙で共和党の候補となった。第二次世界大戦で負傷し、右手に後遺症が残った。

生涯
2021年没
死亡地
アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)
出生地
アメリカ合衆国(ラッセル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)

伝記

ボブ・ドールことロバート・ジョセフ・ドールは、1923年7月22日にカンザス州ラッセルで生まれ、2021年12月5日に没したアメリカ合衆国の政治家・法律家である。共和党に属し、上院で長く院内総務を務め、1996年の大統領選挙では共和党の候補となった。

父ドーラン・レイは小さな乳製品工場を営んだ。ドールは高校で運動選手として名を馳せ、1941年にカンザス大学へ進んで、バスケットボール、陸上、フットボールの各部に所属した。しかし第二次世界大戦により学業は中断され、1942年に陸軍に入隊し、のちに少尉となって第10山岳師団に属した。1945年4月、イタリアのボローニャ南西のアペニン山中での戦闘中にドイツ軍の砲弾を受け、鎖骨や脊椎の一部を砕かれて重体となった。以後終生、右手のすべての指が麻痺するなどの後遺症を負った。1947年に大尉で医療除隊となり、1948年からアリゾナ大学に通い、のちにトピーカのウォッシュバーン大学で学士号と法学位を1952年に得た。

政治の道に入ったのは在学中のことで、1950年にカンザス州議会下院議員に当選して2年の任期を務めた。1952年にはラッセル郡の郡検事となり、1960年に連邦下院議員に当選し、以後も当選を重ねた。下院議員としては公民権法に賛成する立場をとった。1968年に連邦上院議員の予備選で前知事を破って党の指名を得て、本選挙にも勝ち、1969年1月3日から1996年6月11日まで27年間上院に在籍した。この間、共和党全国委員会委員長(1971年から1973年)、上院財政委員長(1981年から1985年)を経て、1985年から退任まで上院共和党の指導者である院内総務を務めた。クリントンの医療制度改革案の阻止にも力を尽くした。共和党議員としてはリベラル寄りで、フードスタンプ政策を推進した。1994年の中間選挙で共和党が大勝すると多数党の院内総務となったが、議会の可決した予算法案にクリントンが拒否権を行使して政府機関の閉鎖に至った。世論は共和党側に批判的で、ドールは収拾に奔走したが、党内の強硬派との折り合いがつかず、困難を極めた。

大統領選挙にはたびたび名前が挙がった。1976年にはフォード大統領の副大統領候補に起用されたが、共和党は敗れた。1980年の予備選には出馬したが、早期投票の州で僅かな票しか得られず、早々に撤退した。1988年の予備選では5州と約19%の票を獲得して2位となり、ブッシュ副大統領に敗れた。1996年には現役の上院院内総務として初めて大統領候補の指名を受け、本選挙に専念するため上院議員を任期半ばで辞職した。副大統領候補にはジャック・ケンプを選んだが、現職の民主党クリントンに選挙人で200人以上の大差をつけられて敗れた。以後は公職を求めなかった。

引退後も政界に関わり、政治コメンテーターなどを務めた。親台湾派の重鎮として知られ、2016年の選挙後にトランプと中華民国の蔡英文総統の電話会談を水面下で設定したのはドールだと明らかになった。2016年には当初ジェブ・ブッシュを、のちにルビオを支持し、トランプが代議員の過半数を確保してからトランプ支持を表明した。元共和党指名候補のなかでトランプ支持を最後まで拒まなかったのはドールだけで、2020年の選挙でも支持を表明した。2008年に世界食糧賞を受け、2018年1月17日には議会名誉黄金勲章を授与された。2021年2月にステージ4の肺がんと診断されたことを公表し、同年12月5日に死去した。棺は9日に連邦議会議事堂に一時安置された。

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