伝記
DMX(本名アール・シモンズ)は、1970年12月18日に生まれ、2021年4月9日に没したアメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー、俳優である。芸名は、1980年代に使っていたドラムマシン、オーバーハイムDMXに由来する。犬が吠えるようながなり声にハイトーンのシャウトを混ぜるフロウと、小節末で同じ単語を使いながら直前の単語を変えて押韻を複雑にする技巧で知られた。
生地はニューヨーク市ともニューヨーク州マウントバーノンともされ、幼いころに移ったヨンカーズで育った。母から暴力を受け、気管支喘息を患い、10歳で中学を退学させられて施設に入れられた。15歳でヨンカーズに戻ると空の物置で寝泊まりし、野良犬と親しんだという。生活のため同級生から金品を奪うなどの行為に走り、やがて車の強奪も始めた。多くの時間をストリートでの犯罪に費やしたが、ビートボックスやターンテーブルを楽しむうちに、ヒップホップを苦難の日々からの脱却と考えるようになった。1985年ごろ、地元のラッパー、レディ・ロンのためにビートボックスを披露したのが活動の始まりとされる。1988年には車の強奪で服役し、獄中で歌詞を書き、ほかの受刑者とラップで競い合った。
1991年、未契約の有望ラッパーを紹介する音楽誌『ザ・ソース』の名物コラム「アンサインド・ハイプ」に取り上げられ、レーベルのラフハウスと契約した。1992年にシングル「ボーン・ルーザー」でデビューしたが、十分な成果を得られなかった。1997年にレッドマンやメソッド・マンらとともに参加したLLクールJの「4, 3, 2, 1」での客演が高く評価された。1998年に第1作『イッツ・ダーク・アンド・ヘル・イズ・ホット』を発表すると初登場で全米首位となり、2パックと比較されるようになった。売上は400万枚を超え、同年には映画『ベリー』でナズと共演して銀幕デビューも果たした。1999年に第2作『フレッシュ・オブ・マイ・フレッシュ、ブラッド・オブ・マイ・ブラッド』、同年末に第3作『そして、Xが残った…』を出し、いずれも初登場1位となった。第3作は「ワッツ・マイ・ネーム」「パーティ・アップ」などのヒットを生み、500万枚を突破した。2001年3月の第4作『ザ・グレート・ディプレッション』はトリプルプラチナムを獲得したが、前作ほどの商業的成功とは言い難く、評価も芳しくなかった。2003年の第5作『グランド・チャンプ』により、デビュー作から5作連続でチャート首位を獲得した史上唯一のアーティストとなった。その後、この作品を最後にラッパーを引退する考えを公に述べたが、2006年1月にコロンビアレコードと契約し、同年8月に新作を発表した。この作品は100枚ほどの差でチャート首位を逃した。
俳優としては、2000年の『ロミオ・マスト・ダイ』でジェット・リーらと共演して出世作とした。続くスティーブン・セガール共演作と、ジェット・リーと再び共演した『ブラック・ダイヤモンド』もヒットした。
キャリアの初期から、動物虐待、無免許運転、麻薬所持、文書偽造などでたびたび逮捕された。ボストンでの傷害容疑や、故郷ヨンカーズでの暴行事件では、のちに無罪とされている。2009年には福音宣教の道に入る意向を示しつつ、音楽活動も続けるとした。ジェイ・ルールとは長く対立したが、2009年の授賞式で和解した。2021年4月2日深夜、薬物の過剰摂取による心臓発作でニューヨーク州ホワイトプレーンズの病院に搬送され、4月9日に死去した。
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