HISTORICAL PERSON · 2021年没

エドワード・オズボーン・ウィルソン

アメリカの昆虫学者で、社会生物学や生物多様性の研究者。バイオフィリアやコンシリエンスなどの理論を提唱し、ハーバード大学の名誉教授を務めた。

生涯
2021年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / バーリントン)
出生地
アメリカ合衆国(バーミンガム)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

エドワード・オズボーン・ウィルソンは、1929年6月10日にアメリカ合衆国アラバマ州バーミングハムで生まれた昆虫学者である。社会生物学や生物多様性の研究者として知られ、バイオフィリアやコンシリエンスといった考え方を唱えた。幼いころはワシントン近郊とアラバマ州モービルの田舎を行き来して育ち、自然に親しんだ。7歳のときに両親が離婚し、同じ年に釣りの事故で目に障害を負った。父と継母に連れられて街を転々としたため、関心は哺乳類や鳥類から次第に昆虫へ移っていった。13歳のとき、モービルにはいないはずのヒアリを見つけている。

16歳で昆虫学者になると決め、ハエの収集を始めたが、戦争で虫ピンが不足すると、小瓶で足りるアリに興味を向けた。アメリカ国立自然史博物館のアリ学者マリオン・スミスに励まされ、アラバマ州中のアリを調べた。大学に行く余裕がないかもしれないと考えて陸軍入隊を思い立ったが、目の障害で健康テストに落ちた。それでもアラバマ大学に入学でき、1949年にはヒアリの拡散についての報告書を州に提出した。これが最初の科学的刊行物である。学士と修士を取得したのちハーバード大学に移り、1955年に博士号を得て、同年アイリーン・ケリーと結婚した。

1956年にハーバード大学の講師となり、1964年に動物学教授となった。1950年代末には、アリ学の世界的権威として知られていた。当時は分子生物学に関心が集まり、同僚が「分子生物学こそ唯一の生物学である」と宣言したが、ウィルソンはこれを傲慢だと見なして反発し、進化学や生態学などの発展の必要を感じたという。1967年にはロバート・マッカーサーと『島の生物地理学理論』を著し、種数平衡理論などを示して、島嶼生物学を発展させる論文となった。

1970年代には『社会生物学』を著し、社会行動の生物学的基盤を体系的に研究する分野として成立させた。社会性昆虫の行動を説明した進化の理論をヒトを含む動物に適用し、人の行動は遺伝と環境の双方に形作られ、文化には「遺伝子の首ひも」としての生物学的基盤があると主張した。これは大きな論争を呼んだ。ピューリッツァー賞を受けた『人の本性について』でも、人の精神は文化と同じくらい遺伝の影響を受けると論じた。1990年にはバート・ヘルドブラーと大著『アリ』を出版した。バイオフィリアとは生命のシステムに対する愛情を意味する語で、ウィルソンは人間には他の生物との結びつきを求める本能があり、自然保護はその本能に合致していると主張した。1975年にはジャレド・ダイアモンドが、この理論に基づいて自然保護区は大きく設計するのがよいと主張し、ウィルソンも支持している。1998年の『コンシリエンス』では、異なる専門分野の知識を統合する考えを説き、自然科学と人文科学の結びつきを提案した。

宗教については自らの立場を「暫定的な理神論」と説明し、宗教は科学によって調べられるべきだと考えた。後年の『創造』では、科学者は宗教指導者と手を結ぶべきだと主張している。20世紀の大量絶滅も研究し、環境保護を強く支持して、熱帯雨林を守る運動にも賛同した。1996年にハーバード大学を定年退職してペレグリノ特別教授となり、同年にはアメリカ・ナチュラリスト協会がE.O.ウィルソン・ナチュラリスト賞を創設した。ハーバード大学では比較動物学博物館の名誉教授となった。2021年12月26日に亡くなった。

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